レディオヘッド、きみたちはロックだ
ギターやベース、ドラムといった楽器は、音や演奏を電気の力によって増幅させているものにすぎず、ナマの人間の表現行為に限りなく即していると思う。対してキーボードを始めとする電子機器やそれらから発せられる電子音は、その原動力の多くを機械に依存している。ここにアナログとデジタルの二極化があり、アナログなアーティストがデジタルを導入したり、またその逆だったりする場合、音楽性が大きく変わってしまうことが多い。
レディオヘッドはメンバー5人中3人がギタリストという、コッテコテのギターバンドとしてスタートした。デビュー時から質の高い音楽を作り続け、商業的にも成功し、ファンもつき、メディアからの評価も勝ち取ることができた。ただ、ギターにベースにドラムにヴォーカルといったオーソドックスな編成での表現行為がパブリックイメージとして定着してしまうと、彼らはその範囲の中でしか表現行為ができなくなることを恐怖したのだろう。
彼らはこれまでの路線を続けて現状を維持するよりも、より高いレベルに到達せんがために、電子路線に足を踏み入れた。改革には痛みが伴うもので当然以前と同様の路線を期待している筋からは反発を食らったが、しかし”賛”の意も得ることができたのは、その世界観があまりにも圧倒的であまりにも美しく、そして説得力を備えたものであったからだと思う。ワタシなどまさにその世界観の中に飲み込まれたひとりで、それまでのレディオヘッドは優秀なギターバンドのひとつという認識でしかなかったのが、『Kid A』以来自分にとっての最重要バンドのひとつになった。
これまで築き上げてきたスタイルに固執することなく新たなフィールドに飛び出したことが既にロック的な挑戦だと思うし、かつ飛び出した先で成果を遂げたレディオヘッドは、ロックの魂を体現するとてつもないバンドだ。そして産み落とされた『Kid A』『Amnesiac』の2作は、たとえ表現の主体がデジタルであろうとも、ロックな音だとワタシは思う。
そしてライヴはまたちょっと違った様相を呈していた。『Kid A』以前のギターバンドのスタイルを捨てることなく、『Kid A』で手に入れた世界観を表現するという具合だった。行きっ放しにならずにバランス感覚を保持しているところが、彼らの素晴らしいところだと思う。
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