東京事変 2006.2.19:日本武道館
個人的には去年暮れのファンクラブイベントで既に目撃しているものの、今回のライヴがメンバー交代後の「新生」東京事変のお披露目ライヴとなる。武道館には開場の1時間近く前に着いたのだが、日曜日ということもあってか、既に周辺にはかなりの人がいた。グッズ売り場も既にオープンしていたので、並んでいくつかの品を購入。やがて、予定時間より少し遅れたものの無事に開場し、期待を抱きながら場内に入った。椎名林檎が武道館でライヴを行うのは、ソロとしてのラストライヴ以来、約2年半ぶりになる。
開演も予定より15分ほど遅れた。客電が落ちると場内からは歓声が沸き、その中をステージ向かって左の袖の方からメンバーがゆっくりと入場。全員白い衣装だ。最後に姿を見せたのが椎名林檎で、彼女は黒いコートを着ていた。そしてオープニングは、なんと『葬列』!!!まさか!?ソロ時代のラストアルバム『加爾基 精液 栗ノ花』のラストの曲で、タイトル通り椎名林檎が自身を葬り去ったかのような曲調なのだが、ソロ時代には結局ライヴ演奏されることはなかった。なので今後もライヴの場で披露されることはないだろうと思っていたのだが、まさに意表を突かれた。どれほどコアなファンでも、この出だしは予測できなかったに違いない。
・・・と呆気に取られていると、ダメを押すようにまた異変が起こった。ステージ両端の袖から少年少女がぞろぞろと登場し、ステージの中央で歌う林檎女史を中心にするようにして横に二列に並ぶ。この子たちは杉並少年少女合唱団だそうで、曲に合わせてコーラス参加。続く『群青日和』でもコーラスし、またうさぎの耳をつけていて首を横に振ったりして、かわいいな。彼らは自分たちの役割を果たすと、ぞろぞろと退場して行った。
更に、またまた意表を突く『虚言症』。曲が持つ精度の高さが、懐かしさを上回る。そして『歌舞伎』『化粧直し』『丸の内サディスティック』と、ソロ時代の曲が中心に披露される。これも意外な展開。がしかしもっと意外なのは、曲のアレンジだ。どの曲もムード歌謡調になっていて、曲が持つ別の一面が引き出されている。このバンドの編集能力の高さと懐の深さを、改めて思い知る。
ステージはかなり横長になっていて、後方のスクリーンには映像が映し出される。前方のお立ち台は横に可動するようになっていて、ギターの浮雲とベースの亀田が立って楽器を弾きながら移動するという、凝った仕掛けも。また両端はアリーナ席に向かって少し突き出し、花道状態になっている。メンバーの立ち位置は、中央に林檎女史、左に亀田、林檎女史の真後ろにドラムの刃田、ドラムセットに寄り添うように浮雲、その右に鍵盤の伊澤。伊澤はグランドピアノのほか、2台のキーボードも操っていた。
『サービス』では5人全員が拡声器を持ってステージの前の方に現れ、横一列になって歌う。やがて間奏になると、男性陣4人がスタッフが用意した丸い筒状のカーテンに身を隠し、ステージ上で生着替えを。その間、既に銀のスパンコールの衣装に着替えしていた林檎女史は、もうひとりの女性のダンサーと一緒に踊っていた。猫の耳をつけていて、かわいいな。男性陣の生着替えが終わると、4人は黒い衣装をまとっていた。
『喧嘩上等』では、林檎女史がタンカを切るような口上を述べて始まり、曲調も従来のロック調に。以降『ブラックアウト』『夢のあと』と続き、『母国情緒』で再び5人全員がステージ前方に登場。伊澤はピアニカを吹き、刃田は小太鼓をお腹に据えていた。5人が一列になって、鼓笛隊が行進するかのように、まずはステージ左の花道へ。次いで今度は右の花道へ歩き、といった具合。間奏のときに伊澤が『幸福論』のメロディを吹いてくれて、小ネタにも事欠かない。
『修羅場』はシングルバージョンのアレンジで披露され、『秘密』を経て『手紙』へ。ここでの林檎女史の熱唱は素晴らしかった。まるで1万人のオーディエンスをぐぐっと自分の懐に引き付けるように歌い上げ、ライヴのハイライトになったと思う。彼女はまたまた衣装替えしていて、今度は紫のドレス姿だ。本編ラストは『透明人間』。曲に先駆けて刃田のMCがあったが、去年観たときはたどたどしかったのに、ここではすらすらと言いたいことを言っていた。慣れたのかな?
アンコールでは、男性陣はツアーグッズのTシャツ姿で(これも今やお馴染み)、林檎女史は白のロングドレスに。そして、刃田が亀田を、亀田が浮雲を、浮雲が伊澤を、伊澤が林檎女史を、林檎女史が刃田を、という具合に、5人がリレー形式でメンバーを紹介し合う。曲は『落日』『恋は幻』と、シングル『修羅場』のカップリングナンバーを2曲。このバンドが生み出す曲のクオリティの高さが、シングルだけに留まらず、全ての楽曲に対して発揮されていることの証明だ。
演奏が終わり、メンバーがステージから去った後、後方のスクリーンにはスタッフの名前が映画のエンドロールのように流れる。BGMは『雪国』のカラオケで、字幕はやがて4月から行われるツアーの日程と会場を紹介し、幕となった。そう、今回のライヴはあくまでお披露目であって、もう少し待てば新生東京事変による全国ツアーで、もういちど私たちはバンドに会えるのである。
なんと言っても衝撃だったのはオープニングだ。だがしかし、ライヴが終了し日常に戻るにつれ、なぜあのようなオープニングになったのかと、考えるようになった。思うに、あれは「第一期」東京事変を葬るための儀式ではなかったのかと。2年半前の椎名林檎としてのラストライヴは、既に第一期の東京事変のメンバーで構成されていた。つまりあのライヴは、終わりであると同時に新たな始まりでもあったのだ。そのメンバーである程度の期間を一緒に活動したこともあってか、メンバーチェンジというのは私たちが思う以上に大きいことだったのではないだろうか。
『葬列』から『スーパースター』までが、「第一期」事変の弔い。『サービス』でシフトチェンジして、『喧嘩上等』からが「新生」事変のお披露目。厳密ではないにせよ、序盤の弔いはソロ時代の曲が多く、『喧嘩上等』以降は最新作『大人(アダルト)』からの曲が中心になっている・・・と考えれば合点がいく。あとひとつ気になったことは、今回林檎女史は1度もギターを弾くことがなく、ヴォーカルに徹していたことだ。彼女がギターを封印したのかどうかは、4月から始まるツアーで明らかになるはずだ。
(2006.2.23.)