ロッキー・ザ・ファイナル(2006年)
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ロッキー シルベスター・スタローン
妻エイドリアンをガンで亡くしたロッキーは、レストランのオーナーをしていて客に自分のチャンピオン時代の話をしながら余生を送っていた。息子は有名人の父に反発して家を出て、エリートサラリーマンに。一方、時のヘビー級チャンピオンであるディクソンは、連戦連勝の絶対王者であるにもかかわらず、支持を得られないことに苦悩していた。ロッキーは自分の中にまだ燃え残っているものがあることを自覚し、ボクシングライセンスを再取得。それを聞きつけたディクソン陣営は、ロッキーにチャリティーのエキシビジョンマッチを持ちかける-。
『ロッキー5』から16年を経て作られた、これがほんとうの最終作。終わったはずのロッキーなのに、それをなんで今さら?という感がないわけではなかったが、観れば納得する内容である。劇中ではロッキーは50代で復帰することになっているが、実際のスタローンは撮影中に60歳を迎えていたそうで、エキシビジョンとはいえいきなり現役世界チャンピオンと対戦するという展開も、ふつうに考えれば強引極まりない。
しかし、その強引さを気にさせない大きな要素があって、それは現在のロッキーのありのままであろう、老人としての悲哀を見事に描いているからだ。大きくのしかかっているのが妻の死で、中盤までは息子とのすれ違いもあり、レストランで語る過去の名勝負も、客に頼まれて仕方なく話している。そして、第一作でロッキーの助言を一蹴していた不良少女のマリーが、ここでは成人して年頃の子供もいるという形でロッキーと再会を果たす。こういう仕掛けができるのも、シリーズを続けている強みである。
ロッキーを超人としてでなく、老いたひとりの人間として描いたからこそ、ライセンス再取得の際の「人は老いたら様々なものを失っていく。その中でたった一つオレに残ったものを奪わないでくれ。」ということばが効いてくる。ディクソンとの試合では、ディクソンが試合中に拳をケガしてしまうというアクシデントを加えることによって、ロッキーとディクソンとの試合が成立させるように持っていき、それがロッキー自身だけでなくディクソンにとっても心の解放につながっていく。前作は目をかけた教え子と仲違いしてしまってそれにケリをつけるという、「怒り」の要素が強かったとすれば、今作は「哀しみ」に始まり「感動」に終わっていて、いい幕引きになったと思う。
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