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ボブ・ディラン(Bob Dylan)『ボス・エンズ・オブ・ザ・レインボー ー1978-1989 信仰と混迷の時代ー』

ボブ・ディラン(Bob Dylan)『ボス・エンズ・オブ・ザ・レインボー ー1978-1989 信仰と混迷の時代ー』

のドキュメンタリー映像シリーズVol.3で、取り扱う時代は1978年から1989年。ディランにとっては、苦しい時期に当たる。

1978年の暮れに神の啓示を受け、翌1979年から1981年にかけて、「キリスト教3部作」とされるアルバムをリリース。マッスル・ショールズ・スタジオでレコーディングされた『Slow Train Coming』ではグラミーを受賞するも、続く『Saved』はジャケットに象徴されるように宗教色が更に強くなり、セールスも評価も下降。『Shot Of Love』で締めくくると、『Infidels』で路線修正。しかし、時代がMTVやテクノポップ主流になり、ディランは化石扱いに。なんとか時代に呼応しようとするも、うまくはいかない。

この時期、外部のパートナーとのタッグを通して模索しているのがわかる。ダイアー・ストレイツのマーク・ノップラー、元のミック・テイラー、スライ&ロビー、アーサー・ベイカーら。&ハートブレイカーズやグレイトフル・デッドらとツアーもおこなった。また、USAフォー・アフリカやライヴ・エイド、ファームエイドといった、社会貢献ものにも参加している。

インタビューに答えているのは、音楽評論家陣が多い。そして、辛口ばかり。当時はともかく、20年30年が経過したのだから、少しはどこかしらに意義を見出してもいいような気がするのだが。ひとりだけ、『Empire Burlesque』について、当時はわからなかったが後年発表された歌詞集を読んで文学性の高い歌詞だと指摘している評論家がいた。

復活の兆しは、に誘われてレコーディングしたトラヴェリング・ウィルベリーズ、およびダニエル・ラノワをプロデューサーに迎えて制作した『Oh Mercy』の辺りからとされている。これが1988~1989年のことだ。80年代が終わりを迎え、ディランたちの世代が批判される対象を通過して再リスペクトされるフェーズに入り、ディラン自身も長いトンネルから抜け出しつつあったのだと思う。

ライヴエイドの映像は懐かしかったが、全般的に蔵出し映像は乏しかった。意外だったのは、ディランが「キリスト教」時代にラジオ番組のインタビューに答えていたり、80年代半ばにインタビューに答えている映像があったりしたことだ。20代のときには割と積極的にインタビューを受けていたイメージがあるが、そこであまりに曲解されすぎてうんざりし、以降はほとんど受けなくなったものと思っていたので。

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